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孔雀东南飞@一目均衡表

盗人に 取り残されし 窓の月 

一目均衡表完結編 【完結編再版に際して】原文

kujyaku

11 月 3, 2016

辛辛苦苦打完了一目均衡表原著,才发现自己之前即使读了两三遍,过分重视正文了,没想到原著的两篇后记是那么忠言。感叹之余把再出版的 后记原文全部贴出来,让真正想学一目均衡表的人自己一字一字地去狗狗翻译,能够猜个八九不离十的人,一定会对一目山人的做法感慨万千,大有收获的。

这篇后记准备读书会一目均衡表的正本读完时候,提前拿上来读作为总结。在此不做翻译。一个老人的苦口婆心,却是良药!

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昭和五十一年七月二十五目

完結編再版に際(さい)して

相場が良くわかり、多忙(たぼう)な人もひまな人も、すべて利益出来るためには、三部作全部に通じることが必要でありますが、しかし、ひまのある人、銘柄の良くわかる人は、第一部作、第二部作で充分であります。一目均衡表としては、なかんづく、第二部作完結編が、最も重大なものでありまして、これは、おそらく世界的にも、すくなくとも日本では空前のものであります。その最たるものは、時間的なる諸研究でありまして、これは今日まで、誰れも考えなかった事であります。人間は、享年(きょうねん)何才であるかは、臨終(りんじゅう)までは、正確には自覚(じかく)出来ません。要するに人生においては、時間が一番大事であります。にもかかわらず、「時は金なり」という愚かな諺(ことわざ)があります。何故愚かか、時はまさに命だからであります。私は新聞社時代、毎日同じ事を強調しました。それは「新聞代を返せとは云わぬが、読んだ時間を返せ」、と云われそうな記事を書いてはいけない。ということでありました。わがこの三部作は、その定価は、ただでない。だけのものでありますが、勉強した時間が損になるようなものでは、絶対にありません。読む人の心がまえは、とにかくとしまして、たとえば、二年で完了すれば、その当然の報酬(ほうしゅう)は、幾らであるべきでしょうが。私が、若い人の読者をとくに喜ぶのには、私なりの理由があります。それは、一般のサラリーでも明らかなように、若い人の方が、年配(ねんぱい)の人よりも、時間料が低いにもかかわらず、報酬時間が永いはずだからであります。もしこの三部作を、道場における教材としますれば、年令に応じて、若い人にはウンと高くし、高令者にはタダのようでも良いはずでありますが、それについて、いろいろ考えてきましたものの、どうも実行方法がありません。しかし、高令者でも、二年間の勉強報酬、時間料を、今の金でおよそ五百万円。と考えてきました。もちろんそれは、二年の勉強期間を過ぎてから、忽(たちま)ちにして得られるべきでありますが、それは充分可能であります。どうぞ真剣にご勉強下さい。

最近では、早くも、時間的な、ものまねをしている向も多いよしでありますが、それは、まことに当然のことでありましょう。ただ問題は、その結果がどうであるか、ということであります。

その完結編が品切れとなりまして、再版するか否かについては、永い間考えましたが、すでに六年を過ぎていまして、何よりも定価が高くなることであります。しかし、この一目均衡表は、読者の数がふえればふえるほど、その価値が高まるのであります。もしこの完結編の読者が、数万人に達すれば、均衡表によらなければ、おそなく、相場することは出来なくなることでしょう。そうしたことを考えていますところで、最近、証券マン、とくにその外務員の読者が増加しつつあります。今の若い証券マンは、お客に儲けさせ度いのが精一杯。それで自分も発展出来るのですから、証券マンにさえ、いつも相場が良くわかっていれば、投資家ようごには、一番手近かでありますので、それやこれやで、いよいよ再版することになりました。再版に際しまして、また重復するかも知れませんが、なにか書き落しているような気のすることなどを、この際書くことにいたしきしょう。重複することは、とくに大事なことでありますので。

先づ、今、最も私の関心事となりていることを申しますれば、一目均衡表様式による銘柄の、カイ、またはウリを、新聞、其の他の公刊物に発表してはいけない。ということであります。このことは、私は前から良くわかっていましたので、日本証券新聞の「均衡表の急所」にも、ダウの事だけしか書いていないのですが、約二年前に、日証新聞社から、「均衡表による銘柄」を、と云われて、若い人の勉強には良い機会と思い、数人の人に書かせましたが、結果は、必ずしも充分ではありませんでした。書いている人が未熟である、というよりも、日時とスべースをきめて、書くことになれば、適正銘柄を見出すことば決して容易ではない。しかし、それまでは、大した問題ではありません。とくに大事なことは、一目均衡表様式による相場は、きわめて自然のものである事であります。三部作が材料な軽視するのも、その為でありますが、新聞其の他の公刊物に、均衡表様式を書けば、それ自身が直ちに材料視される。均衡表読者以外の売買者が出れば、材料視され易いだけ、その銘柄の相場そのものが自然のものでなくなる。最少限、計算値は変り易いのであるが、この二年間の経験におきまして、その事が良くわかりました。

それが判って見ますと、均衡表様式の銘柄を、公刊物に書くことに、実は、一目均衡表読者の、勉強後の当然の利益をおかすことになりますので、、今後は、誰れにも書かせませんが、もし、何処かで、誰れかが書きましても、それをご自得の均衡表に照して、ご同調されるところがありましても、一とたび材料視された以上、むしろ、軽視(けいし)して頂きたいのであります。一目均衡表は、これから、年代を経るに従いまして、ものまねや、造作(ぞうさく)するものが出る、と思いますが、絶対に、自然の相場にのみ乗ずることが大事であります。そのためには、毎日の、いろいろの銘柄が、人為的なものであるか、自然のものであるかが、良くわかるようになって頂きたいのであります。

この完結編で、最も大事なのは、前にも書いたように、時間関係でありますが、その内でも、とくに劃時代的(かくじだいてき)なものは、スパンであります。世にこれほど素晴らしいものはありませんが、何か一つ、書き忘れたことがあるように思いますので。それは、遅行スパンについて、先づ一節を、ついで一期を書きとめれば、自然に二節もハッキリしてくるのであります。その三つを良くにらみながら、相場を堪案(たんあん)して頂き度いのであります。

三部作のどこかに書いたのですが、現物取引(げんぶつとりひき)よりも信用取引(しんようとりひき)を。というのは、現物取引は、とかく安心し過ぎて、必要な時の注意を怠り易い。もし、現物で損をするとすれば、徹底的にやられるケ―スがすくなくない。それをとくに強調して、警告したまでであって、信用取引でなければとか、信用取引が良い、と云うのでは決してありません。ことに相場が大底をいれて、立ち直る中期以後においては、信用銘柄の騰勢(とうせい)一巡して、現物銘柄のみ活躍する時期も、時には有り得るのでありますが、そうした時期に、取引をするとすれば、もちろん、現物取引をさけることは出来ません。要するに、現物取引がいけないのではない。現物取引であっても、信用取引と同じように、常に警戒(けいかい)を怠(おこた)らないということが大切なのであります。

私の三部作について、勉強は一、二年もかかるのでしようが。と聞かれる人が沢山あります。聞く人は、恐らく、相場というものが、本当にわかっていないか、あるいは、相場なカケごとのように、甘く、出たとこ勝負のように考えるか。損をいくらしても、その内もうけられると、安易に考えている人でありましょうが、そう云う人は、まず何よりも、相場を生涯やめることを考えるぺきです。他人まかせで、相場がもうかるものでは、断じてないからであります。猫が上っても、同じ音がするというピアノでさえ、一流になるのには、五年や八年では不可能。相場ほどむつかしいものが、わずか二年や三年で、達人になれるという教本があるならば、それは正に国宝的なものでありましょう。私の三部作で、もし二、三年で、達人になれないならば、それは勉強不足、勉強に対する心構えが良くないからでありましょう。

相場に対し、知識的に精通するには、わが三部作を、二、三回読めば充分でありますが、しかし、わが三部作の、真の特長は、相場を完全に把握する知恵(ちえ)が、自然に身につくことでありまして、その為に勉強二、三年というのであって、この三部作が、決してむつかしいからではありません。

尚、知識を磨くことは、云うまでもなく、大切なことであるが、しかし、それを余りに固執すれば、知恵の増長ができなくなり、かえって知恵は低下する。知恵の増長なくして、知識だけ進むことは、かえってはなはだ悲しむべきことである。なぜなら、知恵の伴なわない知識は、なんの役にも立たないばかりでなく、かえって時代の変化に順応できない害を生じやすい。ことに、知りさえすればよい、と思うことは大辺なあやまりである。勿論、知ることは大切であるが、それよりも更に大切なことは、その知ったことを、知り尽くした上で、それらの全てを悟り尽すことである。それでなければ、この人間社会において、それの完壁を期することはできないのである。

日本には、イヤこれは所詮、ツナから教えられたことと思いますが、「三年三月九十日」という諺があります。小学校入学前後の少年時代に、古老から聞いたのでありますが、その真の意味について、いろいろ文献を調べて見ても、どうもハッキリしません。しかし、これは、時の観念と、時の経過。に対する反省を求めているものたと思います。徳川時代には、九両三分二朱。という言葉が、いろいろの意味で使われましたが、一番本質的なものは、十両ぬすめば死罪、という時代に、情状酌量(じょうじょうしゃくりょう)の場合、十両ではあない。計算すれば十両でも、それは九両三分二朱である。と云うのでありましよう。三年三月九十日と云えば、それは三年半であるが、最後の半を、三月、九十日と刻んだところに、この言葉の、真の意味があるようであります。これら徳川時代のトテイ制度のもとで、のれんわけ、一本立ち祝い。などという期待に臨んではそれに近づくにつれて、年から月に、月から日に、「時の効用」とでも申しましょうが、決して同じ時間ではないのであります。事実としての時間が、必ずしも真実の時間ではないわけであります。値幅だけねらわれている相場についても、いかに時間が大切であるか良くおわかりでしょう。と同時に、私の基本数値と対等数値との重要性も、良くおわかりのことと思いますが、しかし、それを極端に固定的なものとされることば良くない。時間の切迫性と真実性に注目して、延長されるか、短縮されるかを研究して下さい。延長も短縮も、決して理由なくしては、あり得ないからであります。

ところで、この三年三月九十日は、前述のようなことを云うためではなかったのであります。本意は、運勢回復(うんせいかいふく)、好運温存(こううんおんぞん)、について申したがったのであります。人の一生は、重き荷を背負うて、遠き道を行くが如し、と家康も云っています。彼れが天下人になれたのも、実にそのためでありますが、百歩の道を行かんとするものは、九十歩をもって半ばとすべし。とも云います。いつの時代でも、人生は詢に生き難いのでありますが、それ故にこそ、昔から「運命論」が人の心奥深く、しみ込んでいます。しかし、今私の申したい「運」ということは易学などのそれではない。況んや、シヤアマニズムやアニミズムのそれではない。ただ「運ぶ」ということであります。運命と云えば、命を運ぶ、運勢と云えば、勢いを運ぶ、ということであります。重き荷を背負うて、遠き道をゆくものに取っては、何よりも停滞なく、生活がスムースに運ばれることが大切であります。不運とは、運べなくなったことでしょうが、もの心付いてから、生涯を通じて、いやしくも、不運にならぬよう、心がければなりません。不運、不幸というものは、決して偶然に来るものではありません。必ず必然的なものであって、あるいは、前からわかっていたものであり、後からうなづけるものでありまして、不運に逢うたびに、深く反省すべぎであります。しかし、び不運になりますと、それを回復することは、決して容易なことではありません。節分の豆まきの如く、幸福は来たり難くて去り易く、不幸は去り難くして来り易い。支那では、いにしえから、喪に服すること三年。といっています。一と度び不幸に直面すれば、三年はつつしめということでありましょう。しかし不運の開運は、三年ののちに、さらに三月、なお九十日の、運び開きの実証期間が必要であります。一瞬にして受けた負傷を治するのに三年かかり、それから立ち上るのに三月九十日。と考えれば、まことにわかり易いのですが、おそるべきは最初の一瞬であります。だんだん、むつかしいことを云うようですが、相場も亦、この一瞬に深甚(しんじん)なる関心を持つぺきであります。

このほど証券マンが三部作を需めにきて、「酒田五法をいろいろ適用して見たが、どうもうまくゆかない。反って逆をくうことが多い。」と話したので、私は、それは酒田五法をうのみにしているためだ。私も日証新聞社から寄贈を受けて、一読したが、なかなか秀れたものである。ただしかし、あれは米相場によるものであり、すでに古い。現在のように発展した株式相場とは大分違う場合が多い。それを型だけに捕われて、その真実性を見取ることが出来なければ、反ってケガをし易い。ことに酒田五法には、「時間」が無視されている、本来一年ぐさであるから、本間氏ではわかり切っていたことかも知れないが、今となっては、やはり時間との関係において、その「型」が活用されねばならない。と答えましたが、そこで私は、酒田五法の真実性を現代化して、私の二十六法を、出来ればそのABCを、健康の許すかぎり製作して見たいと思い立ちました。それは、これまで書いてきたことをふくめて、必ずや相場の進退に、大いに役立つことと思います。と同時に、三部作の活用にも、大いに役立つようにしたいと思います。

本書の第一版発売早々に、一人の人が三冊を注文されたので、その理由を聞きましたところ、まだきわめて小さいが、長男、次男のために、ということでありました。これほどの方は、充分の覚悟のあることと思いますので、何等心配はいたしませんが、しかし、一般的に申しますれば、とくに深甚(しんじん)な配慮をして頂き度いのであります。それは、現在の読者が、大して勉強もされないで、三部作を不用意に子供に残された場合であります。本当に勉強された人なれば、相場がいかにきけんなものであるか、それ故に大いに勉強しなければならぬ。ということも良くわかつているはずでありまして、彼様な方は、次代の相場行為には、特別の関心を払われることと思いますが、余り勉強されない方の次代は、この三部作を一読しただけで、あるいは一読もしないで、相場行為を初めるかも知れない。それがまことにおそろしいのであります。当代は、永い間の損失の経験によりまして、己れが不勉強であった事には気付かないにしても、とにちかくにも、一応相場に対する深層認識は出来ているはずでありますが、次代は、当代のように、深層認識も出来ない間に、一気に、再起不能の失敗をするかも知れません。それがまことにおそろしく、私がとくに、この三部作が、当代より次代に渡ることをおそれる所以であります。皆さんもどうぞ、深甚のご注意を願います。そこで私は、重ね重ねながら、次代の人のために、とくに必要なことを、書き残して置ききしょう。

先づ第一に、相場は儲けるよりも、損をし易いものである。イヤ殆んど損をするものである。ということな先づ、肝に銘じて置くこと。そして、用心して、僅かな株数の時はもうけても、安心して多数の時は損をし易い。しかも、少しもうけたアトは、必ず、といっても良いほど損をしやすい。したがって、金ほしさに、先づ相場に手を出してはいけない。だから、相場のために、無理な資金造りをしては絶対にいけない。とともに、妻にかくしての行動はさらにいけない。そこで、次代にとくに、申し度いことは、この三部作を、先づ三年間、五十回以上、百回位い読んでから、いよいよ相場に直面するとしても、最初の三年間は、最低の商内のみ。それの実績が損一〇、利益九〇になったなれば、ぼつぼつ、商内高をふやしてゆく。そうした心がけが必要である。ということを、この際とくに書き残して置きます。このことは、どうぞ、当代も自分のこととして、銘記して下さって、どう云う家憲を残されるか、ご自分よりも大事なことだと思います。

最近、中年以上の方の読者が増加してきました。その半ば以上は、停年退職後に備えられるものの如くであります。まことに賢明、かつ適切なる方途とは思いますが、,しかし、それは決してらくな道ではありません。何よりも老後の金ですから、断じて損をしてはならない。ということでありますが、それは決してなまやさしいことではありません。もちろん、三部作を徹底的に勉強して貰わねばなりませんが、それとともに大事なことは、商内の仕方に工夫を要します。一般的にも、初心者には必要なことですが、この際はとくに、停年者の方のために、最も良いと思う仕方を考えて見ましょう。

先づ、何よりも、徒らにもうけ度い。と思わぬことであり、さらには、一度に大きくもうけたい、と思わぬことです。従っていかなる相場でも、いかなる時でも、良くわかり切るまでは、出来るだけ、最少限の小商内から出発すべぎであります。商内をする上の、最も理想的なものは商内をして四日目には、すくなくとも、往復の手数料に、税金を加えた以上の、利益計算になっていなければならないのであります。このことは、むつかしいと思えばむつかしいことですが、それさえ達成出来れば、もうすべて安心であります。

相場の初心者について、とくに問題なのは、いつでも焦り易いことであります。第一、相場が少し動きかけると、直ぐあせりが出易いのですが、さらに損をすれば、それを取戻そうとして焦りが出る。しかし、それにもまして、もうけたアトには、さらにもうけようとして、一層の焦りが出る。意外にもうけたアトは、グラフ係の妻君に叱られる位まで休むことです。もちろん、相場の勉強は毎日休んではなりませんが、新聞や雑誌に大きく書かれている銘柄を取り上げることは、それが均衡表方式に適合している場合であってさえも、一応敬遠(けいえん)すぺきです。何よりも大切なことは、均衡表方式によって、相場の本質的な動きがわかること。そして、一番底を買うよりも、一番底をアトから良く調べて見て、一番底に間違いなし、とわかってから、二番底を買うことであります。一番底から大きく上げた相場は、だいたいは人為的なもので、キケソな反動安をともない易いのであります。カラウリもその逆であることは、云うまでもありませんが、カラウリは急いではいけません。尚、相場の本には、時にナンピン商内(しょうない)のことが書いてありますが、読んで見ると、いかにも良い方法のようであります。しかし、これは、大相場師が、自分の商内(しょうない)で、相場の本音を調べて見る。そのために、先づ三分の一程度の建玉をして、それが引かれた時に、ナンピンして、カイ値の平均を下げ、またはウリ値の平均を上げるものであります。しかも、そうした玄人でさえ、利乗せナンピンは大いにやりますが、引かれナンピンは容易にはやらないのであります。従いまして、一般者は、ナンピン商内は決してやるべきではありません。失敗した商内の、救済策のように考えることは、きわめてキケンであります。

最後に一つ。商内は、すべて自分の見識でしなければなりません。そのためには、良き証券会社を選ぶことも必要ですが、それにもまして、良きセ―ルスマンを選ぶことが必要であります。セールスマンに取っては、何よりも、常にお客にもうけさせることが、自己発展の最たるものでありますが、そのために、大いに勉強している人は、案外にすくないようであります。そこで、私としましては、やはり、一目均衡表三部作を、良く勉強したセールスマンに希望をつなぐわけであります。その出発として、セールスマンの中から同人会幹事を頼んでいるのであります。もちろん、これからも、なお大いに勉強して貰いたいためでもありますが、こうした人々は、主として、一目均衡方式によって、決じょうした銘柄。ということになれば、当然、成績もあがることと思います。ただしかし、次ぎのことだけは、充分お考えおきいただきたい。それは、セールスマンとしては、当然、月々ある程度の商内高を必要とする。そのために、すべての商内が、均衡表方式だけで、間に合わない時もあり得ると思います。そうした時は、やはり、あなたが、是非のはんだんをなさるべきです。いつでも、それの是非が云えるように、大いに勉強して頂きたいと思います。自分のことは、所詮において、自分で処理することが大切でして、赤ん坊ではあるまいし、他人頼みは、とくにつつしむべきであります。

ところで、どう云うセールスマンなれば、信用出来るか。ということをつねに考えて置かれる必要があると思います。それについて二、三の点を申しますれば、いたずらに、商内をさせたがるセールスマンは、余りいただけないでしよう。たとえば、今日何々新聞にこんな記事が出ています。これを買われたらどうですか。あるいは、何々社の記者が、これは特ダネだと云って、こういうことを報せてくれたのですが、これをウラれたらどうですが、などと自分の責任ではなく、商内をすすめる人。さらにこんなのさえあります。あなたは、大変相場が良くわかる方たということを、誰れから聞いたか、A会社の社外重役のB氏が、あなたのご意見を聞いてくれ、と云われたのですが、B氏は、A会社の大変な好材料をにぎっているそうです。しかしそれは、この相場にまだ現われていないが、あなたはどうご覧になりますか。あなたがおカイになるなら、B氏も大いにカウというのです。――これは恐らく、B氏がウリ逃げたいので、カイものを誘ったのでありましょうが、そうでないとしても、セールスマンが、商内をさせたかったからでしょう。

ことに、セールスマンが、自分の見識(けんしき)だけで商内をして、アトから、これを、カイましたと報せてくるのは、違法でもありますし、決して許すぺきではありません。従って、あなたに商内を任せる。などとは絶対に云ってはなりません。それから、お客に考える余地を与えないで、「今買わねば」という人も考えものでしょう。さらには、自分ですすめた商内で、平気で追証(おいしょう)を請求するセールスマン。つまり、損のさせなれ。をした人は敬遠すべきでありますが、一番敬遠(けいえん)すべきは、お客が二、三度もうけた時、自分がもうけてやったのだ。と錯覚(さっかく)して、接客態度(せっきゃくたいど)のかわるセールスマンです。そう云う人は、いつも自信過剰(じしんかじょう)で、いつ、大きな損をさせられるかも知れません。こんなことを書けば、限りはありませんが、これは、セールスマンの諸君も、良くご覧下さって、いろいろ考えて頂き度いと思います。セールスマンの自己発展は、ただただ、お客が、つねに安心して、利益をえる。それのお役に立つ。ということでありますから。要するに、金のありがたきに鈍感(どんかん)になっている人に、金をまかすことは出来ません。

これで、再版についてのあとがきを終りますが、およそ、かかる人生において、大事をなさんとするものは、年令のいかんにかかわらず、ただこれ、努力あるのみであります。

 

《一目均衡表完結編 【完結編再版に際して】原文》有4个想法
  1. 虽不懂日文,但是还是值得玩味。谢谢孔雀先生。另外,请教先生,一目山人当时发明一目均衡表时,日本交易所每天交易多少小时?每周交易几天?先谢谢了

    1. 这个历史悠久,很多要待考察,均衡表69年公开就已经研究了50年,战前不提了,战后是每周六天,后来全盘美化后,转为每周五天,东京时间9:00-11:30 午饭后12:30-3:00这点倒没啥大变化。

  2. Thank you so much for your kind reply. Mr.Kujyaku. Ichimoku Kinko Hyo is really something worth your time and effort to leran. Thanks for your great briefing on Ichimoku knowledge! BR & GL.

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